2-4、フォーク・シンガーへの道

2017年05月21日 06:18

(2)たかが歌

1974年 「ジョン・バエズ」来日。
1975年 「拓郎」「小室」「泉谷」「陽水」等が、フォーライフレコード発足。(山陽新幹線開通)「つま恋、6万人コンサート。小椋佳「シクラメンのかほり」荒井由美「いちご白書をもう一度」ヒット。

★1975年2月、心斎橋の島之内教会で開催されている「関西正統派原点フォークコンサート」を聴きに行った。出演者は、すずききよし氏や豊田勇造さん・もんたよしのりさん・等だったかな?。その中で、中島光一氏の「18才」を初めて聴いて、衝撃を受けた。満席200人のホールなのに、私と中島氏だけが唄の中で2人で会話していた。中島氏が勤める職場で起きた、18歳の「のぞみ」ちゃんの生涯を語る告発の唄だった。ギターの音等は、もう耳から消え、鳥肌で身動き出来なかった。
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2-4、シンガー・ソング・ライターへの道

2017年05月20日 07:00

(3)スター・ソフへの手紙

私たちに、今必要なものは・・・
音楽でもなく、言葉でもなく、パレットでもなく
又、彫刻刀でもありません。
生きた思想を下さい。
人々と生きた話し合いをして下さい。
その人たちとの、話し合いのために
どんなテーマを選ぼうとも・・・・
そうしたら
美しい響きを、耳にしないではおれないでしょう。

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3、<倉敷時代> 1979~

2017年05月19日 06:41

3-1、我古里で、生きる!
(1)サウンド・ラボ企画 1979~
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(2)中 備 産 業 1986~1991
(3)サウンド・ラボ企画「業務縮小」 2014

3-2、地域運動の中で・・・
(1)岡山音楽友の会 1978~1985
(2)倉敷音楽友の会 1981~1983
(3)倉敷子ども劇場 1980~2010
(4)唄う会「紙風船」 1982~現在
(5)VAN VAN LIVE! 1981~
(6)水島・金光・新見・地域でも・・・
(7)創造集団「音楽舘」 1987~1992
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3-3、フォーク・キャンプ
(1)01st~03th 1986~1988
(2)04th~06th 1989~1991
(3)07th~10th 1993~1998

3-4、フォーク・スクール
(1)01~02期生 1989~1990
(2)03~12期生 1993~1999
(3)13~24期生 2000~現在


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3-1、我古里で、生きる!

2017年05月18日 06:45

(1)サウンド・ラボ企画」創設

1979年、夏のボーナスを貰った次の日に「辞表」を出した。レコード製作の噂を知っている上司は「音楽のプロになるのか?」「ボーナスが不満なのか?」とか・・・3年前から、決めて計画・準備していた事を告げて、受理された。

そのLP「風よ伝えて」の製作実行委員会の中心的な役割を果たしたクロセ氏とノナカ氏と、同時にその設立準備を着々と進めて来た。そして、倉敷へ。それぞれの、夏のボーナスと退職金を出資してPA機材を購入!。倉敷市南町の貸しビル内に、事務所を設置。PA(音響機材)レンタル会社「サウンド・ラボ企画(LAB)」を創設(1979年9月)した。
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3-1、我古里で、生きる!

2017年05月17日 06:54

(2)中備産業設立

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LAB設立後の、3人のそんな厳しい生活の中で、大阪時代に別会社の出向した先輩より図面を書くアルバイトの依頼が有った。営業活動を苦手としたクロセ氏は、週始めの三日程をそのアルバイトに・・・。ノナカ氏は、LAB営業のかたわら電気店の訪問販売も・・。私は、倉敷音楽友の会を結成する等忙しく、その人脈でコンサートの企画も出来るようになり、少しずつ広がる。それに合わせてPAの仕事も少しずつ増えた。とは言え、それぞれギリギリの生活でしたから・・・。クロセ氏は、その後アルバイト先の会社へ転職する事を決意した。暫くして、ノナカ氏も営業担当していたライバル同業他社へ転職に希望をみつけた。3人のLABは、わずか5年弱でしたが、それぞれの生活や将来を考えると、引き止める力も説得出来る希望も私には、指し示せ無かった。
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3-1、我古里で、生きる!

2017年05月16日 07:50

(3)サウンド・ラボ企画 「業務縮小」

1979年9月、PA機材レンタル業「サウンド・ラボ企画(LAB)」を創業しました。着実に需要が増える中で、機材の拡充と技術の向上に努力して来ました。高価な機材で、特別な技術が必要だから「レンタル業」として需要が生まれたが、昨今のPA機材の性能の進歩は目覚ましく、おまけにどんどん安価になって来ましたね。又、レンタル業の宿命なのか→新しい機材を増やす→スタッフを増やす→現場を増やす→機材を増やす・・・気が付くと倉庫は、機材で満杯!が現状です。そんな循環が、ひとつ狂うと廃業を余儀なくされる同業者も沢山見て来ました。幸い、10数年前から増設を止め→新現場も現機材内のみで対応させて頂いて来ました。しかし、その機材の老朽化も必至で、大規模レンタル業務の縮小を決意するに至りました。お世話になった現場に、迷惑を掛ける結果には、とても心苦しい思いですが・・・限界を正直に伝える事が、せめてもの誠意だと思っています。
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大規模PAレンタル主催者様へのお知らせ文書
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3-2、地域運動の中で・・・

2017年05月15日 06:29

(1)岡山音楽友の会

倉敷に帰る一年前(1978年7月4日)岡山市民文化ホールで「恒一&光一コンサート」が、岡山音楽友の会の主催で開催された。「恒一」は、東京のフォーク・シンガー「川津恒一」氏で、元FG「シーズンオフ」のリーダーで解散後ソロ活動をされていた。「光一」は、我等が大阪の「中島光一」氏で、良いチャンスだから一緒に出演を!と誘われた。新婚旅行中で岡山に来ていた「民唄開拓舎」の村上しんじ夫妻と共に「おやじの唄」と「戦跡」を唄った。その頃、1stアルバム/LPレコード「風よ伝えて」の製作実行委員会も立ち上げていたので、レコードの支援予約も沢山頂く結果になった。この出演のお陰で、その後の岡山(倉敷)での出発は、ゼロからでは無くなったような気がしたのだ。
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3-2、地域運動の中で・・・

2017年05月14日 06:39

(2)倉敷音楽友の会、結成

★1981年、倉敷カトリック教会で倉敷音友準備会主催で「サンデー・ファミィリー・コンサート」・美観地区の「くらしき亭」や「シャコンヌ」等で、会員の飛び入りライブ(これが、VAN VAN LIVEの始まり)・私の「2nd Home Grand Live」等を開催。そして、9月6日「結成総会」を迎えた(会員数は、100名弱でしたが・・)。大阪時代にお世話になった「すずききよし」氏をゲストに開催。
(1981年9月6日「倉敷音友結成総会」倉敷市民会館/和室)
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