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4-1、建設風景

2018年07月02日 06:00

1991年6月、計画半ばの父の他界で(鉄工所の立地条件が無くなって)、急速に「音楽舘」建設候補地が決まった。それも、全国的に有名になった美観地区に近い、倉敷の中心文化圏内だった。
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音楽舘の設計者を探していた所、青年団関係のシラガ氏から「クロセ設計」を紹介された。クロセ氏は、大学時代にバンド活動をされていたと言う事で、お会いしてお話をさせて頂いて、即依頼した。そのルートで、施工業者も総社市の「矢吹工業」に決定された。
1992年4月19日、OPEN!に向けてスタートしたのだが、残っている写真記録を見て驚いた。

①鉄骨が組み上がったのが、なんと、1992年3月28日なのですから・・・(OPEN!23日前)。
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②4月3日、屋根と外壁工事が始まった。
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③4月15日、塗装工事が始まった。複雑なデザインに渋っていた職人さんも、出来上がりを見て満足そうに誇らしげに微笑んでいたのが印象的でした。
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④外装のデザインは、ニ度程私のコンサートを開催して頂いた、中庄の「AC美術研究所」の阿部省三先生が、金粉入りの地酒1本で引き受けてくれました。雨の日も風の日も、何度も何度も、現場に足を運んで頂いて「スレートの白が雨に濡れて濃い灰色になる所を生かしたい!」と・・・。色は、LABのシンボルカラーの緑と黒を指定しました。
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⑤OPEN!二日前より「引越し」開始。LABの看板は、その日の深夜にナイター照明で取り付け完了。そして、OPEN!前日に、音響設置完了。照明設備も、広島の岡本音響さんが徹夜で設置。
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⑥OPEN!一ヵ月後(5月30日)の音楽舘には、紙風船の人達の手で「銀杏の木」も植えられていました。
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音楽舘で、「SING-OUT☆紙風船」が再開される少し前に、異常に大きくなった銀杏の木の根は「建物を壊す恐れが」出て来たため、止む無く伐採しました。

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