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1-2、小年期

2019年10月15日 06:00

(3)音楽との出会い

ギターを弾くのは不良だ!。今では、考えられない言葉だが・・・。そんな時代に、父の性格とか経済的な理由とかも有って、高校受験は県立一校だけが許された。
1967.jpg
(母の遺品整理中に発見!・・・2018年4月。華麗なハイコードの押さえ情況から、高校2年生の頃と思われる。自宅の前にて・・・親父のバイクも写っています。家も石垣も変わりましたが、バックの梅の木は今も健在!です。)
父が、機械関係の仕事をしていたから、倉敷工業高校の「機械科」を志望したが、進路指導の先生からは安全を見て「電気科」を薦められた。何とか、必至に勉強することも無く入学した。

2年後に受験だった弟は、バスケットボールで主将を努めるほど熱中していて、成績の方は全くビリでした。「県立高校受験は、無理だ!」との先生の判断に、父の性格から私立高校一本か?と思いきや、私立が合格後、県立も受験させて貰えたが、結果は先生の言われる通りでした。今なら親の気持ちが解かるけど、その時の私には、贔屓にしか見えなかった。その怒りは、弟に向いたようだ。私の記憶には無いが「お前みたいに、頭の悪い奴は・・・」その言葉が弟を変えたのだとか・・。私立高校の一年生の二学期から卒業までトップクラスの成績で、学校を上げての応援で、なんと運輸省に就職が決まった。この時、バスケットで鍛えた体力が、どうやらそれを可能にしたようだった。後、父の通夜で、あの時の兄貴の言葉が無かったら「今の自分は無い!」と、弟の口から聴いて驚いた。

1966年 ビートルズ来日。マイク真木「バラが咲いた」加山雄三「君といつまでも」ヒット。(高石友也が、すずききよしの「俺らの空は鉄板だ」等を唄って、関西で活発に活動)
1967年 「ジョン・バエズ」「ピート・シガー」来日。第一回フォーク・キャンプ(京都高雄神護寺)。「帰ってきたヨッパライ」大ヒット(アングラ・フォーク・ブーム)。第二回フォーク・キャンプ(大阪能勢青少年野外セ)。(テレビでは、グループ・サウンズと、ミニスカートが、人気)


私は、高校でも「軟式テニス部」に入った。新入部員は、50人程居たのに、中学の先輩の実績からか、一年生でいきなり先輩とペアを組んで(前衛が不足していたのか?)試合に出させてもらった。冬の部活は、走りが中心で近くの山(向山)までランニング。到着と同時に、一人ずつ岩の上に立って歌わされた。勿論、上手い下手より緊張せずに大きな声を出す練習ですが・・・。夏は、大きなヤカンを持って「氷」の買出しが順番に回ってくる。勿論、ランニングで・・・利き腕を鍛える理由も有ったようだ。二年生になると、先輩は就職活動に入るから同級生とのペアが決まった。ある試合の前に一番上手なペアの前衛が、練習中にネットを飛び越えようとして骨折。何故か私が代理を努める事になったのだ。私の相棒は、一年生と組まされた。この顧問のやり方が、気に入らなくてその試合の直前に退部。やっぱり、骨折した人の相棒が一年生と組むべきだと、今でも思っている。この事で、音楽と関わる方向への環境が整ったのだ!。

同じ部員だったナガヤス君は、同じ前衛同士でも有り・・仲が良かった。彼は岡山駅から、私は中庄駅から同じ電車の同じ車両に乗るほど、気が合った。学校・部活の行き帰りも、話は音楽や彼の好きな映画の話だった。部活の無い休みには、彼の家で「プレスリー」を聴いた。勿論、初めて見たレコード・プレイヤーで初めて聴いた洋楽だった。そのナガヤス君は現在、郵便局に勤めていると聞く。

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