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1-1、幼少年期

2019年10月19日 06:00

(2)祖母と祖父と父のこと

祖母の口癖は、「チャンスの神様は、後頭部がはげている」。多分、チャンス(人生)は一度と言う意味だろう!。私は、祖父の顔も知らない。写真の一枚も残されていない。祖父は、私が生れる前に48歳で病死していたのだから・・・・。
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祖父がハンセン病だった事は、今でも・・・・誰からも語られないが・・・登下校の時、友達から意味も無くからかわれ・・・子ども心に薄々感じていた。祖母は、祖父の療養所にも一人で通い(面会)ながら、6人の子どもを育てた。その半生は、社会状況を思うと、重みを感じる言葉でもある。

祖母は、85歳の頃から光を失ったが、耳は確かだった。私の幼少の記憶の中では、内職(葦の簾)をしながら煙草を蒸かしていた。授業参観日にも、いつも祖母が・・・友達から「お前のお母さんは、老けてるな?」って言われた事も・・・。そんな祖母の生涯は、明治・大正・昭和・平成と語り尽くせない波乱の中を生き抜き、103歳の大往生でした。

父は、68歳で生涯を閉じた。戦時中は、広島の呉の軍需工場で戦闘機を作っていたそうだ。そこで母と出会い・・・広島の原爆投下の少し前に母の実家(徳島)に疎開・・・そこで、終戦(父が20歳の時だった)。岡山に帰ってからは、その時の技術を生かして「板金工」として自営するが、根っからの職人で「良い仕事」はするけど、集金はもっぱら母任せだったそうだ。6人兄妹の長男だったから、父親代わりの大役も果たしながらの自営は、厳しくて・続けられ無くて、後に水島の会社に就職。私が、大阪から帰って来る頃まで、その会社一筋で「工場長」にまで登り詰めていた。

小学生の頃、遠足で「動物園」に行った。前日から少し熱が有ったようで、何故か父も私に付き添って参加してくれた記憶がある。その時、友達が動物園の猿に噛まれ、先生と一緒になって、その友達を介抱する姿が誇らしかった記憶がある。父の会社の社員旅行だったかな・・?京都に祖母と3人で行ったこと・・町内会の行事だったのか?海で一緒に泳いでいる姿も・・・覚えている。幼少の頃の思い出は、そんなもんかな・・・。そんな父の自慢は、歌うことだったようだ。地区の青年団の芝居行事やNHK?の喉自慢で私を背負って歌う写真が残っている。後、私が父親になった時に、そんな父のことを、思って「おやじの唄」を創作した。唄った後には、何故か「父は、まだ健在です」といつも弁解していましたが・・・・(笑)。

祖父は、48歳・・父は、68歳・・の人生でしたから・・・・
私は、88歳まで・・息子は、108歳!・・の人生ですかね(笑)。

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