2-1、関西フォークとの出会い

2017年05月31日 06:28

(3)働くこと、唄うこと

大学を卒業するまでの、腰掛程度にしか考えていなかったから・・・そんなに深刻でもなく、結構気楽でした。欲を言えば限がないけど、高度成長期の職場は楽しかった。休憩時間には、阿弥陀くじで「アイスクリーム」を買ったり・・昼食後に駐車場のトラックの荷台で昼寝して、3時頃に目を覚ましても「みんな、探していたよ」で、笑って終わり・・・首(リストラ)にもならない。今では、考えられないね。
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2-2、フォーク・グループ(FG)結成

2017年05月30日 06:08

(1)「サークルQ」の中で唄う

「サークルQ」の中で唄っていた私は、自然にこの③つ目の流れと出会うのだ。「サークルQ」は、1971年に、職場やその地域の若者の「出会いと交流」の場が目的で発足され、毎月「ハイキング」や「キャンプ」や「スポーツ大会」等を開催していた。その例会に、毎回ギターを持って参加するようになった。
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2-2、フォーク・グループ(FG)結成

2017年05月29日 06:12

(2)FG「裸電球と四畳半」結成!/1972年06月

フォーク・ブームの影響で、サークルQの例会にギターを持って参加する人が多くなった。例会の合間に、次の曲の練習や打ち合わせも・・・。時には、新曲披露も・・・
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2-2、フォーク・グループ(FG)結成

2017年05月28日 06:35

(3)「淀川フォークソング連絡会議」結成!/1975年5月

東淀川地域から出発した「サークルQ」は、やがては全府的に広がり・・・分割・統合して「大阪府・サークル協議会」へと発展していった。結果、「裸電球」の役割も変化した。メンバーが増え続ける「裸電球」は、四畳半に入りきらなくなり、4分割を余儀なくされた。そのひとつの、FG「貨物列車」に参加(1974/06)して、大阪経済大学/二部の大学祭(↓写真/左から、私・上甲くん・坂下くん)」や「青山短大祭」等に出演した。
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2-2、フォーク・グループ(FG)結成

2017年05月27日 06:30

(4)「中の島FOLK村」に参加

「FOLK」は、アメリカで生まれた。創始者として知られる「ウッディー・ガスリー」の20年間が映画化された「我が心の古里」を三回も見た。48年間の生涯に、1000曲を越える創作。鉄道員だった彼が、ギターを抱えて旅をする中で「ピート・シーガー」や「ボブ・ディラン」等とも出会い、一緒に演奏活動する中で強い影響を相互に残した。
「ウッディー・ガスリー」 「中の島野音にて」
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2-3、うた運動との出会い

2017年05月26日 06:06

(1)全国うたの里運動

1975年9月、すずき氏の誘いで、東京・府中青年の家で行われた「第一回全国うたの里」に参加した。淀川フォークソング連絡会議から私とタクロー(現在、鳥取在住)の2人が、深夜ハイウエイバスで東京に向かった。
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2-3、うた運動との出会い

2017年05月25日 06:11

(2)大阪「うたの宿」運動

年一回、大阪府下の唄う仲間たちが集まり、お互いの健康と活動を交流する場が、「うたの宿」でした。1976年5月、NHKラジオ「若いこだま」に出演。「おやじの唄」を唄う!。東京と大阪の二元中継で、東京は「友川かずき」氏でした。
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第5回「うたの宿」実行委員長の村上まさと氏と名古屋「日本福祉大」大学祭に、そのオルグとして出演。
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2-3、うた運動との出会い

2017年05月24日 06:13

(3)「民唄開拓舎」結成  (初代副舎長)

1976年10月。アメリカのフォークソング運動を始め、世界中の働く人達の立場に立った音楽文化運動の歴史から学び、日本民衆の生活に根ざした音楽文化運動を組織し創造し、発展させるために「民唄開拓舎」を結成する。
具体的には、当面「チリ人民連帯コンサート」を大阪府下3ヶ所で開催した。「民唄開拓舎」の噂は全国に広がり出演依頼が、急激に増えた。
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左から、川崎豊/八木たかし/村上清子。
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2-3、うた運動との出会い

2017年05月23日 06:10

(4)レコード製作実行委員会

倉敷に帰ろう!と決めた時、大阪の10年を何かの形に・・・それがLPレコードの製作であった。創作曲も90曲を超えていたが、アマチュアがレコードを創るなんて・・・、それもLP(アルバム)等、考えも及ばなかった。それに、フォークは生のライブ(今から、未来を唄う)が基本で・・・録音した(過去)ものなど・・、と言う思いも有った。製作費用も当時で100万円以上程必要だ。とりあえず製作実行委員会を発足、製作支援金として、100人から一万円ずつ借り入れ・・・完成品レコードを5枚渡す方式で、制作費は意外と簡単に確保出来て、即レコーディングの準備に入った。
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2-4、フォーク・シンガーへの道

2017年05月22日 06:00

(1)時代を語り、未来を語る

ただ、フォークを歌う「フォーク・ソング・シンガー」では無く、聴き手と同じ環境で働き・創り・唄う、生き方も含めた、ライフ・ワークとしての生活スタイルを確立した、所謂「フォーク・シンガーへの道」を目指して、歩き始めた。
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