2010年09月24日 09:55
今日まで、変わらず「唄いたいうた」を唄えた事が何より幸せです。
それに細々ですが、そんな唄たちを私と同じように必要と思って下さる方からの「唄える場所」を今でも創って頂けている事が、とても励みになります。
だんだん自分から押しかける元気は、無くなりつつありますから・・・・。
創ることは確かに唄うエネルギーを与えてくれましたが、唄い続けるにはやはり、聞き続けたいと思って下さる方が必要ですね。
ひとりでも、そう言う方が居られる限り・・・・唄い続けたいと思います!。
売るために作った歌は、売れないと消えて行く。
唄うために作った歌は、唄われなくなると悲しい。
生きるために創ったうたは、それだけで意味はある。
生きる=創る=唄う、というプロセスが、
人の歴史に関わって行けるなら、それだけで意味はある。
そんな思いの中で生まれた310曲を越えるうたたちは語る。
誰もが生きていて良かったと言える、そんな時代を。
うたは、いつも唄い手と聴き手の間にある
だから、共有した時と出会いが出発になるコンサートがいい
生きている実感に溢れたコンサートがいい
年齢や立場など、違いを超えたコンサートがいい
悲しいから唄うのではない。
嬉しいから唄うのでもない。
共に生きて行きたいから唄いたい。
その時のために。

■INDEX■
それに細々ですが、そんな唄たちを私と同じように必要と思って下さる方からの「唄える場所」を今でも創って頂けている事が、とても励みになります。
だんだん自分から押しかける元気は、無くなりつつありますから・・・・。
創ることは確かに唄うエネルギーを与えてくれましたが、唄い続けるにはやはり、聞き続けたいと思って下さる方が必要ですね。
ひとりでも、そう言う方が居られる限り・・・・唄い続けたいと思います!。
売るために作った歌は、売れないと消えて行く。
唄うために作った歌は、唄われなくなると悲しい。
生きるために創ったうたは、それだけで意味はある。
生きる=創る=唄う、というプロセスが、
人の歴史に関わって行けるなら、それだけで意味はある。
そんな思いの中で生まれた310曲を越えるうたたちは語る。
誰もが生きていて良かったと言える、そんな時代を。
うたは、いつも唄い手と聴き手の間にある
だから、共有した時と出会いが出発になるコンサートがいい
生きている実感に溢れたコンサートがいい
年齢や立場など、違いを超えたコンサートがいい
悲しいから唄うのではない。
嬉しいから唄うのでもない。
共に生きて行きたいから唄いたい。
その時のために。

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